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 26歳で結婚して8ヶ月目で難病に罹ってしまい、死にたくなったのですが、妻の「ついていく」で何とか重度の障害になってもやってこれました。やはり、夫婦って良い物ですね。いつまでも妻と仲良くしていきたいものです。

 私の好きな言葉を載せて見ました。吹く風に乗って、いつか夢を実現したいものです。

津田 展志
誰でも出来る】   津田 展志    

 私自身が障害者なのでボランティアなんて出来る筈がないと思っていた。それがちょっとしたきっかけでグループの代表者になり、立ち上げる事になった。私より重度の方も仲間だ。やる気さえあれば誰でも出来る。

 きっかけは障害者の夢の作文だ。佳作に入選して小冊子が送られてきた。その小冊子の中に同じ地域の人が載っていた。内容はパソコンを覚えていろんな事に挑戦したいと書いてあった。訪問して教えてあげればお互いのプラスになると思ったが直接電話する訳もいかない。私のパソコン歴は長いがウインドウになってからはまだ数年だ。それでもいろんなソフトを使う事が出来る。インターネットもメールも使えて家にいても色んな知識が手に入る。障害者でも十分使いこなせると思っている。だけど、私自身が一人で動き回れる身体でない。だから教えるグルプがあれば良いと思っただけだった。
       
私は昨年まで会社に勤めていた。障害があっても勤められたのは幸せだった。
26才で結婚して翌年に難病で倒れる迄は健常者だった。それが後遺症で障害者になった。
一時は絶望して死にたくなったが妻の励ましで立ち直れた。入院生活は一〇カ月だが、リハビリには二年程かかった。全身が痺れているので触覚がない。それでも階段や坂道は手摺りがあれば大丈夫だ。だから昼間なら歩けるようになり勤める事が出来た。

 勤めている時も何度か緊張して歩けなくなった。だけどみんなの優しさに助けられ、ありがたいと思っていた。不景気で会社が危うくなり辞める事になったが、設計しか出来ないので仕方なかった。
辞めてからパソコンで再就職を探しながら、エッセイや童話の応募を始めた。それに地域のパソコンクラブに入った。パソコン歴は長いので一通りは使えるのだが、人との繋がりがほしくて参加したのだ。そのクラブを辞められた人が私と会いたいと人を介して言ってこられた。
                                          
 「パソコンを始めて一年ほどで自分でも驚くほど色んな事が出来た。だからパソコンを障害者が使えるようになれば視野が広がるのではないか。何とかしたい。障害を持っている貴方の意見はどうか。家内がヘルパーで、障害を持っている人がパソコンをしたいと思っている」それらを熱っぽく話された。その時は聞いただけで、ボランティアのグループを作るなんて思ってもいなかった。何度かメールでやり取りして、私も教えてあげたいと思ったことがあると言ってから、それなら私が会員一号になるから作ってみませんかと言われた。

 お互いが調べて話しあった。他のボランティアに参加している大学生も仲間に入った。その大学生は障害者の施設でパソコンを教えていたが閉じこもりがちな障害者にも教えたいと思っていたのだ。そしてヘルパーの奥さんから紹介された重度の障害者も参加してくれた。身動きできなくて口だけでパソコンをしている方だ。電動車椅子に身体を縛り付け顎だけで動かして動き回られている。

 健常者二名と障害者二名で作ってみようと話しあった。私が一番身軽だったので、インターネットで連絡用のメーリングリストを作り、無料のサイトも借りてパソコンの起点を最初に作った。そして会の案内書とちらしを作り、社会福祉協議会に妻の介護で登録に行った。大学生の仲間の名前を社会福祉協議会の人が良く知っていたので登録はスムーズに出来た。そして重度の障害者の人が参加している作業所の方とも知りあいになれ、活動拠点が広がっていった。
                                                



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